ヌートリアー日本の外来生物たち

関西や中国の川でカピバラが居ると間違えられる原因になる生物、ヌートリアを紹介します。

カピバラじゃないよヌートリアだよ

ヌートリアはげっ歯目つまりネズミの仲間です。あまり馴染みのない名前だとは思うのですが、中部以西でカピバラが居ると間違えられることのある生き物です。関東で間違えられるのは、マスクラットです。

大きさは資料によって幅がありますが、尻尾を含まない大きさが50~70cm程度で、尻尾が30~40cm程度です。カピバラほどの大きさではありませんが、モルモットよりも一回り以上余裕で大きく、ネズミの仲間でも大型なのが分かります。

元々はカピバラと同じく南米大陸に住む動物です。そのため寒さにはあまり強いほうではありません。外来種としては日本の他、北米大陸やヨーロッパの各地などに生息しています。日本では本州の愛知県から山口県にかけて生息しています。

雑食の動物ではありますが、食べ物は植物性のものが中心です。これはマスクラットと似た傾向です。ヨシなどの水辺に生える植物の茎や根の他、畑のニンジンやサツマイモなども食べます。それに加えて二枚貝なども食べます。

巣もマスクラットと似ていて、水辺に横案穴を掘ってトンネル状の巣を作り暮らします。

1匹のオスに対し2~3頭のメスと一夫多妻で、年間2~3回繁殖することが可能です。一度に5~6頭を産み、一年程度で大人になります。

※参考文献
国立環境研究所ホームページ 侵入生物データベース、岡山県 「ヌートリア被害対策マニュアル」

・海から山と水辺に住む
・稲を中心とした被害
・共存できる外来種なのか?
・2度あったヌートリアブーム

海から山と水辺に住む

ヌートリアは穏やかな流れの場所好むとされていますが、日本での生息状況の調査では様々な場所に住みます。海辺から山間部に、ため池や休耕田と水辺であればどこにでも住んでいます。

2018年に山口県で行われた環境DNAを使った調査では、山口県全域の河川で生息している可能性が示されています。また、1976年に発表された岡山県の調査でも、飼育場があったとされている沿岸部から少しづつ山間部に向かって広がっていく様子が報告されています。

※環境DNA調査とは
生き物が住んでいれば必ず体の一部が環境中に残ります。そこで環境中に含まれるDNAデータから様々な情報を調査するのが環境DNA調査です。例えば川の水を汲んできます。その水に含まれるDNAから、そこに住む生き物を調べたり、含まれるDNA濃度から生息密度を推定したりできる画期的な方法です。

※参考文献
三浦慎吾「分布からみたヌートリアの帰化・定着, 岡山県の場合」哺乳類動物学雑誌 1976年6巻 (1976年)、赤松良久, 後藤益滋, 乾隆帝, 山中裕樹, 小室隆, 河野誉仁「環境DNAを用いた山口県内2級河川におけるヌートリアの侵入状況と生息適地の把握」応用生態工学 21巻 (2018)

稲を中心とした被害

ヌートリアは元々イネ科の植物を主食としています。そのため水辺の植物だけでなく、稲を食べる被害が発生しています。被害の中心は稲なのですが、その他に葉物野菜から根菜類にイモ類と様々な作物に被害が及んでいます。ただ、甘いもののほうが好みらしく、スイカやニンジンににサツマイモなどが被害にあいやすい傾向にあります。

※参考文献
江草佐和子, 坂田宏志「兵庫県におけるヌートリアの農業被害と対策の現状」陸水学雑誌 70 特集: 生物学的侵入と人間活動 (2009)、曽根啓子,子安和弘,小林秀司,田中愼,織田銃一「野生化ヌートリアによる農業被害―愛知県を中心に―」哺乳類科学 46(2006)

共存できる外来種なのか?

被害金額は2006年の兵庫県で3600万円、2014年の島根県で1000万円に届かない程度、2012年ごろの岡山県で2000万円程度と、ヌートリアの生息地各地で被害が発生しています。そのためヌートリアは岡山県では1970年代には報奨金を設定し駆除が開始され、近年では特定外来生物にも指定されています。そうしたこともあって被害金額はある程度安定化しています。これはアライグマとは対照的な結果で、アライグマは対策を講じているにも関わらず被害も生息数も増えています。それらを考えると、日本に元々住むような在来動物のように一定数の捕獲を行うことで、付き合っていける動物である可能性もあるという人もいます。

生態系への被害としてはドブガイやイシガイと、兵庫や大阪で大型二枚貝の捕食が確認されているのが心配な点です。地点レベルの話ですが、植物を好むため水辺の植物を食べた結果として、ベッコウトンボノン減少が報告されています。

ヌートリアはイギリスで駆除の成功がありますが、イタリアは失敗しました。そもそもイギリスの駆除の成功は、ヌートリアが南米原産で気候的な影響を受けたという可能性があると言われています。そして日本はあまり外来生物の駆除は積極的な方ではありませんし、島根県の被害額の推移などを見ると数自体は安定しているように考えられます。ただ、生態系への影響は心配な点です。

それらを考えると一定の駆除と影響を受けやすい生物へのフォローを行うことで、共存への道を模索するのも一つの可能性ではあると思います。

※参考文献
小林秀司 「ヌートリアの過去,現在,そして未来 演題8 これからヌートリアとのつきあい方をどう考えたらよいのか」哺乳類科学 52 2011年度大会自由集会記録(2012)、金森弘樹「島根県におけるヌートリアの生育分布域の拡大と被害の実態」島根県中山間センター研究報告 (2016)、森生枝「ヌートリア野生化個体によるドブガイの大量捕食」日本陸水学会第68回大会 岡山大会、石田惣,木邑聡美,唐澤恒夫,岡崎一成,星野利浩,長安菜穂子「淀川のヌートリアによるイシガイ科貝類の捕食事例,および死殻から推定されるその特徴」大阪市立自然史博物館研究報告 69 (2015)

2度あったヌートリアブーム

日本ではヌートリアを2度増やそうと機運が高まりました。1度目は太平洋戦争中の軍用毛皮として、2度目は戦後の食糧難で食糧とアメリカからの食糧支援の見返り用の毛皮としてです。

1度目は戦前から戦中にかけてで、軍用としての国策だったようです。導入が始まったのは1939年ごろで、毛皮用動物として動物商が販売しました。この時動物商が輸入した150匹が日本のヌートリアの祖先とされています。このうち103頭日本各地の「軍用毛皮養殖所」に、47頭が陸軍獣医学校に納入されました。1941年には「全日本ヌートリヤ組合」が設立され、軍用として生産が進められていました。そして、戦争末期の食糧難が厳しくなっている時には、既に毛皮だけでなく肉も食用として軍に納入されていたようです。

2度目は戦後二つの理由としてです。ひっ迫する食糧需要を賄うために、ソウギョやライギョなど今でも日本各地に定着している魚たちと同じような理由での導入が一つあります。もう一つは国内のあらゆる生産機能が崩壊してる中で、アメリカへの食糧支援の見返りとして生産可能な物資に選ばれたからというものです。この国策は戦後直後には検討が始まり、1948年には本格化したようです。

この後の顛末はヌートリアが野生化したように上手くいかなかったわけですが、愛知県の例を紹介します。

愛知県では「愛知県ヌートリア農業協同組合」が1952年に認可され、実際に養殖が開始されました。組合が発足したのと同じ1952年には、三重県四日市市で80万人が来場した農業博覧会に組合がヌートリアを展示しています。この時多くの人の目に触れたと思われます。ただ、1年以上事業停止をしたら組合を解散するという組合の規定で、1959年には解散されているので、非常に短い期間で廃れてしまったようです。養殖していた方や子孫への聞き取りによると、毛皮の需要はあまりなかったそうです。肉も一部の人が自分で食べた話がありますが、堅い肉だったそうです。ただ、ネットのヌートリアを食べた人のブログなんかを軽くさらって見る限りでは、そこまで不味いというものはないので、下処理や調理の仕方の問題なのかもしれません。

※参考文献
小林秀司,織田銑一「ヌートリアと国策:戦後のヌートリア養殖ブームはなぜ起きたのか?」(哺乳類科学 2016)、三浦貴弘 「愛知県におけるヌートリア帰化と愛知県ヌートリア農業協同組合」ワイルドライフ・フォーラム6 (2000)

※関連記事
マスクラットー日本の外来生物たち

コメント

このブログの人気の投稿

タヌキとアライグマは仲良し?ーアライグマ観察編2

どこに住んでる?ーアライグマ生息地編

本当に狂暴?-アライグマ性格編