アライグマだけでなく外来種とどう向き合うか その1

アライグマだけでなく外来生物が、自然に対して引き起こす問題を解決する上で、一筋縄でいかないこととして、主に下の4つが挙げられます。

・外来生物、自然とは何なのか誰も知らない
・捕獲することの費用対効果
・人が及ぼす影響が最も大きい
・人が連れてきた生物への扱いとしての道徳的問題

外来生物というものが意識されるようになり研究が進むと、身近な生物や外来生物であったり人類が移動するようになってから、ずっと外来生物の問題が発生していて、単純に割り切れるものではないのが分かってきました。更に自然というものも流動的で、目指すべき自然と呼べるものがあるのかも分からなくなってきました。

何より外来生物の問題より遥かに大きな問題として、人類が引き起こす問題が圧倒的です。外来種の定着出来る環境作りにも、人類が大きく関わっているのも問題です。

在来の自然を保護するという意味で、莫大な予算を必要とする特定の生物の捕獲という方法にも疑問が突き付けられています。

捕獲をされた外来生物には未来はありません。それを考えると、人が身勝手に連れてきた上に、その命に対する扱いまで決めるのは身勝手という意見も当然あります。

一方で何もしないということも、外来生物により被害を受けている動植物に対して無責任極まりない話で、絶滅のような最悪の事態も十分考えられます。

外来種は身近な生き物

外来生物の問題は最近引き起こされた問題と思われますが、紀元前から発生したと思われます。主な例で言えば家畜たちです。イヌ・ネコ・ウシ・ウマなど、誰もが知る動物たちは紀元前から家畜化されていたとされ、人の移動と共に世界中へ広がっていった外来種です。そして日本人にお馴染みなもので言えば米と、小麦やジャガイモのような主食になる食物を、人類が世界中に広げていきました。

こうして世界中に安定的な居住地を築いた人類は、今度は交易を始めます。これにより船にこっそり乗り込んだネズミや虫に、船の底に取り付いた貝やフジツボ類に、衣服に付着したり羊毛紛れ込んだ植物の種と、意図しない動植物の行き来が時代が進むに連れて広がっていきました。

現代では様々な植物が園芸品種として行き交い、様々な動物がペットととして取引されるに至っています。そして航空機や大型貨物船に紛れ込み世界中を、人が意図せず行き来している動植物は増えています。それらの中の一部が人にとって悪さを起こして、悪い外来種と認識されるに至っています。

察しの良い方はお気づきかもしれませんが、紀元前から様々な動植物が移動してきた以上は、外来生物の問題は非常に古くからある問題です。しかも、昔に住み着いたせいで、今では外来種かどうかも人が分からなくなっている生き物が多くなっています。

はっきりしてる身近な例で言えば、シロツメクサいわゆる四つ葉が有名です。飼料用に明治時代に輸入されたものが、定着したとされています。不確かな種で言えば、ヤモリ・鯉(ただし琵琶湖に住む物の一部は除く)・モンシロチョウ・ハクビシンなど、様々な動植物が、実は外来生物なのではとも言われています。こうしてみると地域に定着している外来種全てが、何か悪いことを引き起こしているように見えないのも分かると思います。

これらを理解した上でどこかで線引きする意味で、近年入ってきた生物を外来種とするのは、一程度合理性があると思います。しかし、理解しないでであると、話は変わってきてしまいます。

自然とは何なのか?

自然と言われて手つかずの森林が残る山々や、タヌキやキツネなどが生息する里山などが想像されると思いますので、森とういう視点から見てみます。ただ、それらを突き詰めていくと、自然というものの曖昧さで分からなくなっていきます。

日本の場合で言うと国土の約66%が森林で、森林の中で約60%が天然林と呼ばれる人が利用していない手つかずの森です。ただ、天然林の中でも人が全く手を入れたことのない原生林は、僅かで森林の中でも数パーセントとなっています。

日本家屋が木造建築であったこと、昔は石炭や石油にガスは利用できなかったので、木材が主な燃料でした。そのため大きな大木は古くから大型建築物のために切り出され、人里に近い森では薪や建材の材料として利用されてきました。それがいわゆる里山と呼ばれる森です。江戸時代には過剰な利用に歯止めをかけるための法律が制定されていたほどです。

明治以降の近代でも暫くは木材は非常に重要な燃料な建材で、足尾地域では銅山に利用するため禿山になるほどの需要でした。戦後の復興期では、住宅需要のために大量の木材が切り出されました。そうしたこともあり、一部は純粋に動物たちが住めるような森にするため植林を行ったり、住宅用に切り出した森に杉などを植えました。そして現代は輸入材木が非常に安価なため、森林が利用されなくなりました。こうしてみると日本の森で手が入って居ない場所が殆ど無いのは、理解して貰えると思いますし、こうした状況なのは森だけではありません。

外来生物への対策に限らず自然を回復させるとしたとき、どの地点へ戻すのかは非常に重要です。しかし、既に自然と呼べるような場所は殆どなく、遥か昔から外来種の持ち込みや、土地利用人による生態系のかく乱が続いていたとなれば、どこまで戻せばよいのかや、自然を元に生態系を理解して回復の手立てを作るのも難しい場合があります。

鹿の増加もその例だと思います。江戸時代でも人と鹿は戦ってきましたが、明治に入り森林の減少や鹿の乱獲が進み生息数が激減しました。そうして鹿の被害は暫く忘れ去られていました。

森が利用されなくなり増えやすくなり大繁殖した今、人だけの対策の限界が見えてきた上にオオカミのような歯止めをかけるものも居なくなり困っています。100年ほど前まではニホンオオカミやエゾオオカミが居ましたが、人が絶滅させてしまいました。そこでオオカミを再導入しようと考えても以前の状況が分からないため、「オオカミが実際に鹿を減らせるのか?・オオカミは人や家畜にどんな影響を与えるのか?・そもそも現状の自然にオオカミは住むことが出来るのか?」など、様々な理由から結論を出すことが困難になっています。勿論現在オオカミが住んでいる地域や再導入した地域からの予測は色々ありますが、あくまでも予想の域を出ないので決定打とはしにくい状況です。

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